百メートル走かと思ったら障害物競走だった。
聞く人の聞き方で、話す人の話しやすさが変わってしまう。
ということは、聞き方をよくすれば、それだけで話す方の話が上手くなるのではないだろうか?
ということは、これまでは相手の話を聞きながら
相手の話のジャマをしていたのかもしれない。
だったら、まずは聞く練習をした方がいいんじゃないだろうか?
例えば、百メートル走の練習をするなら、平らな地面な方がいいよね。
石が落ちていたり、物が置いてあったりしたら、安心して練習できないし
走っている途中に、他の人が足をつかんできたら練習にならないよね。
いい聞き方ができていない人に話すことは
デコボコの道に置いてある障害物をよけながら、
他の人からの妨害をかわしながら走るようなものじゃないかなって思う。
百メートル走が上手くなってないのに
障害物競走の練習をするのは
順番が逆かなって思う。
良い聞き手になろう。
だから、話す練習をする前に、聞く練習をしよう。
君は今までどんなことに気を付けて人の話を聞いてきたかな?
思いつかなった人のために、何に気を付けたらいいかを書いておくね。
・相手の顔を見る。
・あいづちを打つ。
・返事をする。
・相手の話に興味を持つ
・相手を受け入れる。
・質問をする。
もっとたくさんあるんだけど、まずはこれだけやってみよう。
大切なのは、相手を、相手の話を大切に思うことだよ。
それがないと、いくらこれをやっても意味ないよ。
相手の顔を見る。
「話を聞くのは耳からなのに、どうして相手の顔を見なければいけないの?」
という人もいるかもしれないね。
話を聞くということは、耳から音だけを聞くのではなくて
相手の顔を目で見て、どんな気持ちで話しているのかも受け取ること。
よく見ると相手の話がよく分かるんだ。
相手に体も向けた方がいいね。
その方が、聞いてくれてるって感じることができて
話している方もうれしくて
より上手く話すことができるよ。
話を聞く時に相手を見ない理由はなんとなく分かるよ。
「学校で先生の話を聞く時
先生の顔を見ると当てられるから
先生の顔は見ない。」
と言う子が時々いるから。
話を聞く時に相手を見ないで
手元の紙を見たり
何かを書いたりしているけど
それもなんとなく理由は分かるよ。
「先生の顔を見ないのは
当てられたくないからじゃなくて
紙を読んでいるからです。」
というためだと思う。
でもね。学校の授業以外は相手の顔を見て話を聞いた方がいいと思う。
あいづち。
あいづちも打った方がいいと思う。
それは、話す人は聞く人の様子を見て話を進めていくからなんだ。
もし、聞く人が「分かった!」という顔をしてあいづちを打てば
話す人は
「ああ、ここは分かったか。それじゃ次の話へ行こう。」
と心の中で考えて次の話を始めていく。
でも、聞く人があいづちも打たず、無表情で聞いていたら?
話す人は
「あれ?分かってないのかな?
もう一度同じことを話した方がいいかな?」
と、心の中で考え、同じ話をまた話し始める。
話す人の話が長かったり、同じ話が繰り返される時
実は、話が理解できていないと思われているかも。
もしかしたら、きみの周りではあいづちを打たない人が多いのかもしれないね。
これは『周りからはみ出ないように』とか『失敗しないように』という考えからなのかもしれない。
『あいづち』は、「分かった」「分からない」などの意思表示の一つなので
その意思表示をすることが難しいのかもしれない。
良い聞き方と悪い聞き方を試してみよう。
2人組になって、30秒、自己紹介をするのを交互にやるよ。
その時に、良い聞き方で聞くのと、悪い聞き方で聞くのを両方試してみよう。
PAOでは、パラドキシカルラーニング(逆説的な勉強法)を使っているよ。
それは何かというと、悪い方法をわざとやるということ。
悪い方法をわざとやることで
①今まで悪い方法を知らず知らずのうちにやっていたことに気づく。
②自分がされる側になって、された方がどんなにいやだったかに気づく。
この2つの効果があるんだ。
これから人の話を聞く時は、良い方の聞き方で聞こう!