ただ楽しんでいくと
言うそれだけなのに!

私たちは大人であっても
いつもその言動が
一貫している必要はない!
態度が立派である必要もない!
ましてや「正しいこと
を言う必要なんて」
もっぱらない!

…ってなんで冒頭からいきなり
こんなことを言うのかと言うと

ゆういちさんが
昨日の稽古の時に
いつも同じような
セリフの言い回し
になっているよ。
と言うのを聞いてて…

なんで私たちは「根本的に」
そもそもこんなに自由で
ないんだろう?
不自由なんだろうと思った!

私がしたい事は
インプロを楽しんでいく!
人生をとことん楽しむ!
それだけなのに(−_−;)

そこにたどり着くまでの
道が果てしなく遠い
道のりに思えるのは
なんでなんだろう?

マイムを上手に
自分の感情を
しっかり表現して
他者を感じて
ときには脇役に徹して

それは必要なスキルだ
と納得できるのですが

一方としては
こんなに考えが
頭をもたげます(−_−;)

「楽しむって!もっと
単純なことのハズだ!」

これはただ今が良ければ良いと
言う快感〜享楽主義
とはちょっと違うのです(-_-;)
まぁそうとも言えるか?(-_-;)

私が意気込んでいるのは
怒りを感じているのは
ここまで人形の
ように成り下がって
しまっている自分自身に
対する不甲斐なさです。

自由に何をやっても良い
表現しても良いと言われても

私の思考表現は固すぎる(-_-;)
自分を自分で規制する
「3つの枠」「3つの目」
と言うようなことを
以前にゆういちさんは
表現されていました。

「自分自身、親、社会」

ここは割とさらっと
言われてましたが
この価値観を「外す」
と言うことがそもそも
根本的にむちゃくちゃ
大変なことではないか?

認められなければいけない
良い子であらねばならない
と言う親の価値観に
今ではもうそれが
自分の価値観のように
なってしまっているが
「いつも監視されている」

私たちは良い悪いを
いつも判断してしまう
正解不正解を
いつも気にしてしまっている
これはもうどうしょうもない
現在教育を受けた
私たちの「病」と言っても良い。

そもそもこの価値観が
根本的に間違って
いたのではないか?

私たちが今ココで考えている
考えていると思っている
これはもう最初から
結論が出ている。
答えが決定している。
それは幼い頃から
言われ続けていた
親とか先生の価値観
そのままだから。

インプロを自由自在に
楽しむと言う大前提に
ここを外さないと
「とんでもなく」
一つ一つのインプロの
思考の習得には
時間がかかるのではないか?

もう一方で私が
期待を持っているのは
「ゲームと言う枠の中で」
私たちがこれまで
思いもよらなかった方法で
自分の気づかないうちに
一つ一つの枠が外されて
いくことを内心密かに
期待してもいるのですが(*゚▽゚*)

生きると言うことを今
奇跡的に享受しているのに
なぜすりつぶすように
塗りつぶすように
毎日を過ごしているのか。

そもそも犯罪を
起こさない限り
他者を傷つけない
他者を実際的に
傷つけたり
社会的な犯罪を
起こさない限りは

私たちには何をしても
許されるはずだ!
それを許さないと
言うことであれば
それは何者かが
作ったルールである。

答えは100人いたら
100通り真実の回答がある。

知らないうちに
いろんなことを自分の中
で「当たり前」にして
物事を進めていると

知らないうちに
自分がとんでもなく
つまらない「パターン思考」
をしていることに気がつく。

自分では画期的で
オリジナルに溢れる
思考をしていると
今まで思っていたのに(-_-;)

俺ってなんて枠に
はまった考え方を
しているんだ。
何をちっちゃく
まとまっているんだ!

その根本的なところを
一つ一つ自分でも
外す作業をしていく必要がある。

これはインプロの稽古
と平行して行っていく。

今まで自分が
信じてきたもの
信じようとしていたもの
をそもそも疑ってみること。

その作業は私を世捨て人に
また舞い戻らせてしまう
危険性をもはらんでいますが(-_-;)

いつも感じている。
根本的に何か大きな枠に
押さえつけられている
感覚がある。
いつでも。どんな時も。

体からのアプローチと
知識からのアプローチ
そして実践からの
フィードバック

もう少しこの世界を
広げてみよう。
世捨て人になっても
良いじゃないか?(*゚▽゚*)

週末にこんな感じの暗い
内容の締めくくりで
申し訳ありませんです(-_-;)

けれどもこれが私
そのものなんですm(_ _)m
いつも読んでくれて
ありがとうございます!

みんなの良い週末を
心から祈ります!