お互いの顔を見る合わせる
ことについての考察

今日は久しぶりに稽古
顔出せました。

やっぱりインプロっていいね。
さよさんゆういちさん
の話を聞いていると

やっぱりそこには
人間関係に必要な
エッセンスが
詰まっている。

Yesアンド〜
その次に
Yesバットのゲーム

話をつなげていこう
とするよりも納得
いくまで気持ちを
込めること。

まず感情を乗せてから
そこから自然と出てくる
アイディア。
それはその直前までの
自分にはなかったのだが
その先はあると信じること。

まずはその感情を信じること
先に出していくと言う事

続けてワンワード

ゆういちさん
「みんなすぐ話が始まった
途端に失敗してしまったり
だめな場面を演じることが
多いんですけどもそれが
クセになってしまうと
おもしろくない。
ああ、またかという
感じになる。どうせ作り話
だから現実にたとえ
できなかったとしても
演技の中ではうまく
いっていいんですよ!」

次はお互いに話を
どんどん進めていきます。

ゆういちさん
「ちょっと待って!
お互いに気持ちは
乗っているけれども
それぞれの妄想の
世界に入ってしまって
いるところがあるよ」

さよさん
「お互いの顔を
見合わせてやったら
いいんじゃない?」

と言うことでお互いに
顔を見合わせて
やってみると相手の表情が
かすかに変な顔に
なったりしたときに

あーなんかしっくり
きてないんだな?
と相手に「寄せていく」
ことができる。

これは良いですね(*゚▽゚*)

ピンポイントで私は
ここの部分だけの練習
の参加となりましたが
やっぱり面白いですね!

人の顔を見ると言う事は
どうしてもそこに反応
しなければならなくなる。

日常生活ではそこに反応
しすぎていては
「消耗が激しすぎて」
疲れ果ててしまうのだけれども

「諦めたらそこで
試合終了だよ(*゚▽゚*)」

それで他人の顔を一切
見なくなったのでは
本末転倒です。

相手の反応があるからこそ
私たちは自分のアクションが
どのような影響を
与えたのかがわかる。

そこにはまず最初に
自分の与えたい影響
があるべきであり
「現実的に」そこに
どれくらい近づいて
いるのかを絶えず
確認する作業は必ず
必要となってくる。

そうでないといくら
練習をしてもそれは
空想の世界を強化
するだけとなって
努力が悪影響と
なってしまう
可能性がある。

すごく基本的な
ことですが
相手の顔を
まっすぐと見ること

目の前の人を
世界の入り口とすること

最初に自分で決めた
段取りはもちろん
あっても構わないと
思うのですがそこに

相手の反応を
「乗せていくこと」で
自分の空想の世界が
初めて相手と共有する
想像の世界に1歩
踏み出せる。

自分の空想の世界で
あるからパターン
も限られてくるのであって

それが相手との
共同作業であれば
無限の可能性がそこにあり

それは不安や恐れと取るか?
限りなく自由だ世界と捉えるか?

今日は久しぶりということ
もあってとても
素直な気持ちで稽古を
することができました。

また次のタイミングは
いつ行けるかわかりませんが
日常でも素直さと
変化することを
楽しめるように
意識していこう(*^▽^*)

今日もお先に
失礼いたしますm(_ _)m
シアタースポーツ
はりきっていこうぜ!(*゚▽゚*)