ちょっとした冒険

今週末「ちょっとした」
冒険をしてこようと思います(*^o^*)

今までの私だったら
進んで会おうとはしない
「種類の」人に会ってきます。

今まで私は人を
疑ってかかってばっかりだったので
いや人を恐れて
おびえてばかりだったので(−_−;)

そうやすやすと!簡単に⁉
他人様と深いやりとりはしたくは
なかったのです(−_−;)

けれども
1人で立っている風景は
もういいかな?
と思ったので。

本当ならそんな時間があったら
1人で好きな本でも
読んでたほうが
千倍マシだ⁉わーい(*゚▽゚*)

と「あっという間に」
1人の世界に閉じこもる
ところなのですが

今の私は試してみたいような
気もしています。

自分の道は大幅に
ずれていないかどうか⁉

誰かに乗せられて
そこに立っているのではないか?
今の目標は借り物ではないのか?

再確認してきます。

こうでもしないと
私もあらゆるリスクをつぶして
石橋を10回叩いて
渡るような人間ですので(-_-;)

一方でなんとなくですが
今回の出会いが
私のある種のストッパーを
外してくれるような気もします。

今通っているこの道は
当然そうするとやろうと
俺だったら!(*゚▽゚*)
とも思いますし
過去の自分からは
とても想像できない
自分でも「もしかしたら」
あるかもしれない。

自分の人生において
予想のつかない
選択肢を置いておくこと。

今までの猶予期間に
心から感謝して

私がずっと1人で生きてきたならば
私は潰れていたでしょう。
それくらい私は性急な
生き方をしてきた。

現実的に全く無理な理想ばかり
自分自身に押し付け
それを実行できない
自身をバカにすると言うことを
繰り返してきた。

それを救ってくれたのが
今の家族であり

目の前で、現実的な
すべきことを教えてくれたのも
今の妻だった。

当時(大分昔)私は恐ろしく尖っており
周りにいる人たちを
傷つけずにはおかない
破壊的な衝動も秘めていて

それが恐ろしく巧妙だったので
誰も私にその罪悪を
追求できないと言う
悪賢さもあって(−_−;)

…とにかくどうしょうもない
ちっちゃな困ったちゃん
だったのです(−_−;)

現実と言う場に
否応なしに立たされて

その行為自体が全く
他人のふんどしで
相撲とっていただけの
傲慢な人間だったことに
気づかされました。

それでも私は自分は
ただ真剣に生きている
だけなんだ!
と本気で思っていましたが

今、そーゆー傲慢さが
また顔を出していないか?
現実と妄想をごっちゃにして
生きていないか?

言葉を実感を伴うものとして
また誰かにちゃんと
伝えられることができるか?
純な部分は自分に残っているか?

全てを確認しておきたい。

まだまだ私は
その気分によって
判断が変わりすぎている。

言い換えれば
それだけ体の中心から出ている
表現が少ないのだと言う事。
すべての体の表面の方から
言葉を発している。

だからこその速さであり
だからこそ軽いのである。
そしてその時々の状況や
体調に左右されすぎる。

確かに体の中心から
物事を持ってくるのは
そこから物事を
進めていこうと言うのは
初動が遅いし、時間がかかる。

しかしそれは動き出せば
とても力強いものだし
それを待っている時間と言うのも
物事の本当の姿を
炙り出してくれることが多い。

今まではその時間が待てなかった。

物事が熟成する時間と言うものを
人の気持ちがどこか動くと言うのを
理解しようともしなかったし
全く信じられなかった。

物事は消して刹那的にだけ
動いているのではなく
自分の目の見えないところで
想像もつかないところで

動いいる事がとてもたくさんある。

想像のつかないと言うこと
自体が私の現実の見方の偏りを
恥ずかしくも暴露している
ことになるのですが(−_−;)

少し私は自分を
揺らしてきます。