ゴールデンウィークに
最近をあまり本を
読んでいなかったので
特に小説を読んでいなかったので
深いストーリー物
を読もうと思って

「かがみの孤城」辻村深月
を読みました。
今本屋で平積みにされているので
これならば内容的に間違いないと
言う保険をかけたのです。
(私のの読書家としての
ポリシーとしては少し
邪道な読み方ですが(-_-;)

読んでみた結果として
良かったですね。
久々に感情を動かされると
言う体験をしました。

それともう一つ大きな
学びとなったのは
この著者は自分の今
持てるもの全てを
出し切っている!

と言うのが文章の端々
から伝わってくるのです!
それはとても潔いもので
ある。それは後先を考えない
と言うことよりも
感謝とともに自分の全てを
置いていくと言う美しい
行為に見えました。

この著者が自ら語って
いるように物語で
自分が味わった
素晴らしさの全てを返したい。
…と言う気持ちで書かれている。

そこに全てを置いていくと
言う事はある意味
その人自身をさらけ出す、
全部を見てくれと言う
「リスキーな行為」
でもあるのです。

はい(-_-;)また即興演劇に
関係ない話をし始めたな!
と思われるかもしれませんが
インプロの話につなげていきますよ!

物事を出し切る
アイデアを全て出して
自分が空っぽにしていくと言う行為
これがなかなか実行しづらいのは

それは単に出てこないと
言うことよりもよりも
自分の今もっているものを
全てさらけ出して
「それを他人に見られる」
と言う事を結局は気に
しているのだと思います。
私だけかな(−_−;)

それはそこに安心信頼の
場がある、なしと
言うことではなく
その人の生きる姿勢の
問題だと思います。

本当に大事なものは何か
を持つことができる。
自分がギリギリの
ところでそれができるか?

自分さえ分かっていれば良い
と言うのは実にせこい
考えであることを
私は最近気がついています。

他の人にはわからなくても良い
理解されなくてもいい
と言うのは「言い換えれば」
そういうことなんだと思う。

それが最後の最後まで
絶対伝わりきらないものだと
わかっていても
そこに歩み寄ろうと言う行為

そこに「逆転現象」があるのだと思う。

無駄なものには時間を使わない
と言う一見合理的
に見えるこの行為は

「結果として」自分の中から
自分の日常から
感動と言えるものを奪い去っていく。

見返りを期待している
行為は全てそうであると
言えるし成果が期待される
ことに対して行動
するということが

ある程度の割合は必要であるが
全て自分の行動基準がそれに
なってしまうとそこに感情が
動く要素は何もない!なぜなら

そこには自分の予想できない
行動は排除するということも
含まれているから!

自分のアイディアを出し切る
自分の余力を残さないと言う
行為はやっぱり
必要である。

なぜなら余力を残した時には
出し切っていない時というのは
必ず言い訳をしてしまうから、
自分はまだ全力を
出し切っていない!
本当はこうし
たかったんだと!

全力を出し切っていない
行為に対して世界は
素直なフィードバックを
してくれるだろうか?
そんなに世界は甘くない(−_−;)

ブルーオーシャンと言う
チームで私は3期の
シアタースポーツに
参加していましたが

果たして全力を出し
切っていただろうか?
飄々としている
何やら楽しげなと言うのは
ある意味「無駄な余裕を」
残しているせいではないか?

結論から言えば
私はその時やれる手を全てうち
考えられる行為を
すべてやり切っています。

でも私の中に何やら
浅ましい「せこい考え」
が浮かんでくるのですね。
私はまだ全力を
出し切っていない、と(-_-;)

正直にこれが今の私の全て
だと言ってしまえば
いいじゃないか?と思う。

今出せる、これが
私のカードの全てだ!と。

…というわけで
私は今慌てて燃料
補給しているわけです(-_-;)

出し切った中に
新しいものを
詰め込んでいくと言う作業
それにはある程度の
時間が必要です。

「その時間をやりくりして」
少しずつでもその中身を
補充していく。

私はいちど空っぽになって
またそこに新しい物事を
入れていくという行為を
とても気にいっています(*^o^*)

ではではゴールデンウィークも
終わりましたし皆さん、
今週もはりきって
まいりましょう!

今回このブログの内容を
一言で訳して言うならば
こういうことです!

体験会に迷われている方は
迷わずレッツゴーですよ!(*゚▽゚*)