ステレオタイプな反応とは?

本当にリアルな
自分自身が反応するのではなく
その役の人だったら
こう反応するのだろう
と言うリアリティーのある演技
と言うのはどんなもの?

コミカルなものではなく
かといって表現しすぎている
演技でもなく
この人だったらこうしてる
のかもしれないなぁと
素朴に思える演技とは?

あーがんばっているんだなぁと
言う「エネルギーの出し方」ではなく
その人にとってそれが真実
なんだと感じさせる演技をすること。

だからこういう反応だったら
分かってもらえるだろうなって
言うわかりやすさを求めるのは
最初の第一歩としてはいいかも
しれないが、それでは
「なぞなぞ」になってしまう(-_-;)

じゃぁそのリアリティーの
ヒントはどこに転がっているの?
答えはこの目の前に広がる
景色の中にある。

何も意識しないことには
ただの自分以外の景色として
味気なく映るこの世界が

一人一人のドラマがあり
その一つ一つの表現や動作が
その人にとっての真実が
この動きなんだ!
この仕草なんだ!

ということが本当に
腑に落ちれば
途端に景色は色彩を帯びる。

目の前の「真実を」無視して
物事を自分の中に知識だけで
物事にフィルターをかけること。
すると、それがその人に
とっての「事実」になる。

わざわざテレビや映画や
ドラマを見て演技を練習するよりも
普段自分が過ごしている
この日常の中にこそ
物事の真実に触れる
本質的なことを表現したいのならば
「そこにこそ」
無限の材料が転がっている。

もし目の前を通り過ぎる1人の人に
フォーカスを当て
主人公とするならば
それを見ている私は途端に
1人の脇役ということになる。

その時に初めてわかる
私も1人の景色に過ぎないのだと。
点に過ぎないのだと。
この世界の中で
時間の流れの中で取るに足らない
存在に過ぎないのだと。

だからそれを過剰に表現
しようとする事は
広い視点から見て
この世界から見て
どう自分の存在と
言うことを理解しているならば
とても不自然な
ことであると言う事。

「だから何なの?
結局何が言いたいの(-_-;)?」

うん(-_-;)そうだね。
これは素朴さと言うものの中に
人間の真実がある。
それはエネルギーの低さと
言うことではなく
全てを表現しきることが
演技でうまさではないと
言うことなんだろうなぁ
と今思っている。

演劇と言うフレームワークの中では
「全てを表現しきること」
が観客にとっての最もサービス
精神に溢れている役者
ということになるのだろう。

そこに本当のリアリティー
と言うことを持ち込んだならば
それは見ている人の想像力の力
を大いに必要とする
協力型の場になる。

よりこの世界に近いのは
この関係であるとは思う。

そういう意味ではインプロと
言う所で芝居をすると言う事は
この世界にすべて
「YES!」と言う事でもある。

この世界は何でも起こり得る。
そしてそれを否定したところには
何も始まらないし、
世界は止まってしまう。
そして物語は動き出さない。

日常の生活では
自分では物語を止めている
つもりはなくても
現実には世界が止まったまま
自分だけが生きている
と勘違いしたまま
「一生を終えることだって」
あり得るかもしれない。

世界を動かすというのは
どういうことなんだろう?
自分だけで生きるのではなくて
世界をリンクさせること
物語も滞りなく進めるとは
何の意味があるのだろう?

いろんなものを
「簡単に結論づけて」
物事を解決した気になっていた
私に今更ながら
とても素朴なそしてとても
大切な根本的な疑問が
浮かんできます。

120%表現したいとは
言い換えれば
自分の中の真実のままの姿で
生きたいと言い換えることが
できるのではないか。

私は大変な勘違いを
していたのかもしれません。
一人ひとりの中に真実があり
その人が見た世界は
すべて本当にそこに起こっていること

そしてそれは自分にも起こっていて
その場にそんな人たちが
たくさん居合わせている。

インプロとは決して
特別なことではなく
普段から絶え間なく起こっている
この当たり前の現象を

その限られた時間や表現や
そこに居合わせる人たちの
それを晒すと言う勇気ある
行動によって、ある種の
人間の真実を白日にもとに晒す
と言う試みなのである。

…と私はまた勝手に
インプロの本質を
いじっています!(*゚▽゚*)

はい最初のテーマに戻ります。
「だから」わかりやすさを
追求するあまり
ステレオタイプな反応だけは
したくないと思う。

それは私が目指している
ところとは最もかけ離れた
反応であるから。

物事の真実に近づくこと。
わかりやすく本質を伝え
そして実際何が伝わったのかは
一言で表せない位
そこに正解はない、
しかし、だけれども
私たちはこれを試みた!

と言う問いかけのようなもの
決意のようなもの
心の奥に届くようなもの

今この瞬間だけなく
この先ずーっと何らかの形で
その人の心に残るようなもの。
演劇をする意味と言うのは
そこにあると思う!

とてもこの段階で言うのは
私は勇気が要るし、
一体何様なんじゃい!お主は!
と言うご批判は受ける事は
重々承知の上で
「今この言葉」を残して
おきたいと思います。

言語化すること。