今日はまねきねこ⭐
研修生の稽古でした

ほんとに楽しいんだよなぁ〜

シアタースポーツみんなで
やるのも楽しいけど
研修生の稽古も
またとても深いところまで
気づきがあるので(*゚▽゚*)

今日は体の動きから。
体幹を使って
背中を使って
ただ指を指す時も
それで全然違ってくる。

直線の動きと曲線の動き
直線の動きは一つ一つ
ピタッと止める。

ダンスをする。
自分の動きがワンパターンに
なったなと思ったら
変えていく。

相手の人の目を見て
そこに影響を受けたら
動きを合わせる。

さよさんの終わった後の
感想によると

指先まできちんと
意識が行っている
りーたんのダンスが
とても美しかったようだ。

私とゆーきのダンスは
なんかくねくねしていた⁉
イヤーん( ̄▽ ̄;)

ストップ‼からのフォーカス
その相手のどこが
1番気になるかというところに
フォーカスを当ててみる。
そして自分もその中に入る。
見ている人が何か名前をつける。

ダンスもそうですが
フォーカスを当てたり
中に入ったりすることが
アイデアが浮かんでない時から
入るのがいい。

次はストップモーション
これは私初めてやりますね
面白そう〜(*゚▽゚*)

曲の流れに沿って
一つ一つのところで
ポーズをバシッと決めていく‼

「自然体であることと
他の人が見てわかりやすい
演技をすることの違い」

稽古が終わった後に
私は質問をしました。

「自然体で動くと
目線は自分の意図
しないところに行ってしまう
それが観客によくないのであれば

自分の体の動き
目線の動きなど
だいぶ意識的に
制御しなければいけないと
言うことですか?」

さよさん
「そうだね。もし自然体に
やると言う事の意味が
一緒にやる仲間や
お客さんの目を気にせずに
やると言うことであれば
そこは意識して
変えていったほうがいい」

私は演技と言うものを捉えて
自分らしくのびのびと
生き生きとしている
ところを伝えたい。

しかしそこには無意識的な、
自分を俯瞰的に眺めていないと
気づけない無駄な動き、
言ってみればダンスの
くねくねした動き( ̄▽ ̄;)
などがある。無意識的に
「そうしてしまっている」

自分の空想の自分と
現実の表現されている自分を
区別して考えること

普段ぞんざいに使っているだけに
自分の手足は「思ったよりも」
自分の意識が届いていない。

フォーカスを丁寧にしていけば
例えばシーン出てきた
タイムカプセルに入った
手紙を丁寧なパントマイムで
取り出して読むと言う仕草
だけで充分な場面になる。

そのフォーカスということ
1つとっても常に見られている自分を
どれだけ意識しているかが
はっきり出てしまう。
顔を観客とは反対の方向に
向けていたり全く舞台の
バランスを考えていなかったり
フォーカスが2つに
分かれてしまったり
不親切極まりない役者( ̄▽ ̄;)

私たちは観客に見せている
のではなくて
「見ていただいている」
のであるならば

この場面設定に
その見せ方に観客が
ついてくれているかどうかと
言う俯瞰的な目線はいつも
必要であると言う事。

青春時代の若者が言うような
「自分らしさをもっと
表現したい‼」
と言うのはその上での
おまけのようなものであること。

今、伝えなければならないのは
演技のうまさではなくて
演技の内容そのもの
なのだからまずは
そこの部分を「キチンと」
伝えられなければ
全く話にならない。

確かにこの体全体に認識を
届かせるということが習慣的に
できるようになれば
言葉に頼る比重が
少なくなってくる。
今、とても大切なことを
教わっている。

研修生のそれぞれが
今は足りないところの方が
目につき、課題は
「てんこ盛り」ですが
ゆーきが最後の感想で
言っていたように
少なくとも今それが
安心して出せる場があることに
感謝いたしますm(_ _)m

日常でなかなかやれないことに
チャレンジで来る場所
それが研修生の稽古です‼(*゚▽゚*)