今回のワークで1番心に残ったのは

ストーリーは役者が作るものではなく
観客と作り上げていくもの。

そのためには舞台と観客の間にある壁を取っ払うこと。

目の前にあるもので
十分にリアリティーが作れる。
そこに無いもので
ストーリーを無理に構成しなくてもいい。

そして1人で全部作るのであれば
みんなとやる意味はない。
1人でやればよい。

というところです。

最初は2人で気の玉を作るワーク

そしてボールを手で飛ばすワーク

ペットボトルを見えない場所に置き
その場所まで目をつむって歩きそれを掴むワーク

シャドーワーク
交互に相手の話を追いかけ話をつなげていくこと。

コンタクトインプロのように体を寄せ合い
観客の反応も見るワーク

BE bold (綴り合ってるかな(・_・;
堂々と振る舞うこと。

一つ一つの動作をはっきりと分けて
観客に対して
わかりやすく明らかにしていくこと。
シンプルで分かりやすく
パントマイムももっと丁寧に。

…と一昨日の超初心者インプロでも
言われていましたが(・_・;

私は最初マスクを着用した時、
「ゆっくりと何もしない時間」が
あることに持ち堪えれなかったのです。

自分の動作が「過剰」であることが
本当に誰の目から見ても分かるほど
くっきりと形に出ました。

ここ「とても」感謝しています。

「観客の『みなす力』を馬鹿にしてはいけない」
…とフックさんが言われました。

ストーリーテリングの練習も
とても面白かったです。

「それは違います!」と言って
または「その話はもういいです。この話をしてください。」と言って
話し手のストーリーに介入できるワーク

2人ともマスクで
それを見ている観客に
丁寧にその状況や
その状況から受けた衝動を
伝えていくワーク

マスク、マスクなし
ストーリーテラーの3人で
創る舞台

フックさんの言われる事は
どれもとてもシンプルで
実行しやすいこと。

その壁を取っ払うには
心理的な抵抗は「ともかく」
それをしないことには
観客との間にある壁は取り除けない。

そして、それをする方法は
いたってシンプルで
「できる限り動かず」
マスクの力を信じること
ストーリーテラーの力を借りること
観客の力を信じること

そして何より動かないことで
表現したり
次のストーリに繋がる
ヒントを相手の役者や
ストーリーテラーに与えること

私は今日のワークを受けて
自分で物事が複雑にしていた
のだと気づきました。

押してダメなら引いてみろ‼
動いてだめなら動くな‼

心理的な内面の理由を盾に
自分でやり方を変えないことを
正当化していたのです。

物事はもっとシンプルに

仮面のインプロの世界は
もっと奥が深い、知りたい
と思っています。

最後にフックさんが
言われていた
この言葉にも深く感銘を受けました。

「子供は確かにすばらしい。
感受性も豊かだし
大人をはっとさせるような
素敵な絵も描ける。

じゃぁその子供の絵が
美術館に展示されるか?
と言うとそうでは無い。

大人が様々な社会経験を経て
そして再び子供の感受性を
取り戻す過程で得られた
その感受性こそが
芸術と言えるものでもある。」

私が今学んでいく上で
とても勇気づけられる言葉でした。

まだ遅くは無い。
「すべてが必要な過程であった」
と言えるために今学び続けている。

明日のワークの仕上げも
本当はとても受けたくてたまらん
ですが、今の私には「十分な種」
をいただきました。

明日のワークも皆んなの気づきが
多く得られるものでありますように。

こういち