キース・ジョンストンの書籍「Impro: Improvisation and the Theatre」には、多くの暴力的な教師の例が登場します。いくつかご紹介します。
1.優しく母親のようにふるまう教師
他の人といる時は「狂っている」ように見えるのに、キースといる時は全く普通になるベティという少女がいました。教師と生徒は美しい庭園にいました。その教師は花を一輪摘んで言いました。
教師 「とってもきれいなお花でしょう、ベティ。」
ベティ「お花はみんなきれいよ。」
教師 「でも、このお花は特に美しいでしょう?」
最も優しい方法を取りながら、この教師は非常に暴力的だったと言えます。分類化しろ、選別しろ、と詰め寄ったのですから。一つの花が庭の他の花よりも特に美しいと主張するなんて、実に気違いじみていますが、教師にはそれが許されていて、普通の人間はそれを暴力とは気が付かないのです。大人はこんな風にして子どもの感覚をゆがめてしまいます。以来、キースはこの種の態度には非常に敏感になりました。
2.本当にリラックスしているか?
別の教師の話です。ある教師が、生徒を床に寝かせ、体の力を抜いてリラックスする「脱力」の授業を行っていました。本当に脱力しているかどうかテストするために、足を床から50センチも持ち上げて、コンクリートの床の上に落としました。
教育も破壊的行為になりえること、悪い教師は才能をめちゃめちゃにすること、良い教師と悪い教師が逆の行為をしていること等がなかなか理解されません。
3.失敗するようなやつはいるか?
また、他の教師のこと。あるアクササイズを行う時に
「さて、次の課題に失敗するようなやつはいるかな?」
生徒が失敗することで安心する教師もいるのです。生徒が間違えると、にっこりと自己満足の微笑みを浮かべます。しかし、このような態度では、クラスに暖かくて良いグループ感情を植え付けることはできません。