朝から演劇論

退屈さに持ちこたえると
ことについて

だいぶ前に書いた
ブログの続きのような
形になります。

自分が平凡である事に
どうしても耐えられなかった
私は「奇抜さでもって」
その穴埋めをしようと
いつも頭を巡らしていました。

しかしゆういちさんが
言うように奇をてらった
ものと言うのはそれが
続けばそれがそれ自体が
平凡なもの退屈なものと
なってしまうのです。

まるで中毒患者のように
強い刺激でないと感情が
動かされないように
なってしまっている。

凝り固まった感情を
動かすためには一時的に
カンフル剤として必要ですが

少しずつ日常の穏やかさに
合わせていくべきです。

ハレとケ

現代社会が抱える課題でもある
強い刺激に満ちており
われわれはそれに流されて
しまっています
それだけバカになっている

日常を取り戻すために
私たちは稽古していると
言っても良い。

ゆういちさんが
外からアイディアを持っ
てこなくても今この場に
宝物が溢れているよと
よく言われるのは

平凡な退屈さにどれだけ
持ち答えられるかと
言い換えることもできます。

さぁもうそろそろ
本番も近づいてきましたね。

ハレの舞台に備え
ケの日常を大切に
1日1日過ごしていきます。

お楽しみはこれからだ!