今日はワンワードからまた始まります。

ゆういちさん
「相手を見ていればアイデアは
自然といろいろ湧いてくる
自分の中だけでアイデアを
出さなければいけないと
思うから苦しくなる。」

「どうしても2人が1つに見えない
2人が別々のアイデアを
出し合っているように見える
特別なこと言わなくてもいい」

「せっかく盛り上がったところは
途中でなかったことにしないで
どんどん乗っていって‼
相手のアイデアに‼
中途半端に終わってしまうと
また1からアイディアを出して
盛り上げていかなければならない
1回とことん盛り上がって
出し切れば、そこからまた何か
新しいものが生まれる」

次は3人1組でストーリーを
作っていきます。

最初1人が前に出てストーリーを語り
タイミングよく他の人が
交代しながらつなげていきます。

ゆういちさん
「相手と交代して前に出るのは
あくまで演技している人が
常にベストなコンディションで
いられることを保つため
だからアイデアが浮かんでから
出るのではなくアイデアが
なくても出る。」

さて私も気合入れてやるぞう🐘
…と出てみたはいいものの

ゆういちさん
「あまりにもこういち
がストーリを飛ばし
すぎている。」

そうですか( ̄▽ ̄;)

さよさん
「こういちはつないでいる
つもりなんだけど
飛ばしすぎている。
4段ぐらい飛ばしている」

言われている事は
納得できますが
どうしても体が
「そうやって」反応してしまう(。-_-。)

さよさん
「本当は最初のぶどう作りの
ストーリー作るところを
じっくりやっていきたかった。
だから、こういちが飛ばすのを
なんとかまとめようと
したんだけど…」

それにすら、
気づきませんでした( ̄▽ ̄;)

ゆういちさん
「ストーリーが一気に進むと
なんとなく一見盛り上がって
いるようには見えるが
落差がないのでずーっと
盛り上がっているだけだと
それは平坦な場面となる」

この説明、本当に何度も
何度も教えていただいてるのに
自分ではつまらないと思っている
「当たり前のことは
つまらないことじゃない」

私はこの言葉を「1日100回ぐらい」
復唱しないといけないの
かもしれません。

言葉を自分で長く喋らない
一言に凝縮して込める

一歩ずつ一歩ずつゆっくりと
ストーリーを作っていく
序盤では。
それがティルトからの
ストーリーの盛り上がり
を引き立てるから。

「テラードストーリー」

お母さんが子供と
作り上げる絵本の読み聞かせ

お母さんは正当化する
子供アイデアをどんどん出す

ココも特別なことを
言わなくてもいい
当たり前に浮かんだことを
そのまま口に出せばいい。

今日は私は早帰りなので
ここで終了し帰りました。

ゆういちさんが
コミニュケーションについて
とても心に残ることを
言われていたので
最後にこれだけ書いておきます。

「じゃんけんとかくじ引きと
いった手段に安易に頼るのは
僕はよくないと思っている。

なぜなら「人と人が」
せっかくそこにいるのだから
もっといろんなことを
話し合って決めていったら
いいんじゃないか?

その手間を惜しんで
楽をしたらいけない
のではないか?」

私は割に使っています( ̄▽ ̄;)
今日感じたのは

なぜ私は一歩一歩段階を
踏むことを拒絶しているのか?

相手の丁寧に作っていきたいと
言う意図を汲み取れなかったのは
私がやっぱり自分の内に
ベクトルが向いていて
相手と呼吸を合わせると言う
意識が欠けていたから

ただひたすら場面
をつなごうとしている。
その気持ちはある。

けれどそこに他者信頼はあるのか?
自分のアイデアが浮かぶのはいいが
それは自己顕示欲の表れに過ぎない

そしてそれはインプロとは
やっぱり違うものだ。
私のインプロは
インプロになっていない。

何回繰り返していくんだろう?

意識を外に向けることで
いろんな物事が見えてくると
思うのだが、舞台に立った
その瞬間しっかり自分を
捕まえている自分が
どうしてもいる。

自分がつまらないと
思っているものは
本当につまらないものなのか?

自分がつまらないと
思っているものを
他の人が大切にしていることを
今までずっと不思議に感じていた。

とても私は周りと
上手くやって行けそうもないや
例え、どんな人とでも。

いつもそう思っていた。

つまらないものとして
簡単に片付けることで
ゆういちさんの言う手間を
私は惜しんでいた。

他の人が「それを」
大切にしているのは
なぜなのか?は実際
自分がそれを積み上げて
いくことでしかわかりっこない。

自分が本当にうまく
ある種の物事を徹底的に
避けている事を知ること。

何度も繰り返してはいますが
そこからもう逃げようとは
思っていない。