こんにちは!夏希です!

昨日はシアタースポーツのお稽古日。いつも学ぶ事は盛りだくさんですが、昨日は特に心に残るお稽古を経験できました。
インプロは自分が曝け出されてしまうお芝居ですからね!

 

ここから先少し辛い内容ですが自分の心の整理のためにも書かせてください!そして、少しでもわたしの事を知りたいと思ってくれる誰かに、わたしの事が少しでも伝わればいいなと思います。心臓の弱い方は戻ってくださいね!!

 

 

お稽古終わりにたくさん自問自答して分かった事ですが、どうやらわたしは人に嫌われるのが怖いみたいです。

 
 
 
昨日お稽古中、泣いてしまいました。自分の至らないところを痛感したのがきっかけです。その至らないところとは、お稽古中人のことを「否定できない・取って付けたような正しくないフォローをする」ところです。思い切りのいい言葉、関係を築けなくては面白くないのがインプロ。わたしの言動はその妨げになっていて、何度も何度もお稽古の場をもやもやさせているのを薄々気付いていましたがなかなか直せず、傷付くことを覚悟して例えそれが否定に繋がってしまったとしても思った事を一生懸命話すメンバーの健気さを見て、自分の不甲斐なさに泣きました。

 

シアタースポーツのお稽古で泣いてしまったのはこれで2度目です。1度目はシアタースポーツ2期の振り返りのときでした。本番当日開場後、さよさんに「時間があるからあちら側のお客さまとお話しておいで」と背中を押されたにも関わらず、ひどく緊張してごく僅かなお客様としかお話できませんでした。せっかく応援しに来てくださったお客様と直接、こんな至近距離でお話する機会なんてなかなかないのに。そんな悲惨な状態で2期シアタースポーツの振り返りを迎えたとき、共演者浜ちゃんが色んな方とたくさんお話したという話を聞いて悔しくて涙が止まりませんでした。

 

昨日も振り返りのときも、涙を止めたくても止められない尾を引くような泣き方でした。
一見違う要因のように思えるこの2つ、どうしてこんなに泣いてしまったんでしょうか?
 

 

 

 
それは子供の頃の経験に原因があるのかもしれないなぁと思いました。

 

わたしは発達障害ADHDを持っています。そのせいなのか、子供の頃はとても空気の読めない子でした。そして友達がいませんでした。
友達がいないと学校はさみしい場所です。クラスの子達はとても楽しそうに誰かと遊んだり雑談してるなか、いつもわたしは自分の席で1人ぼっちで座ってました。そんな1人で過ごす教室はとても窮屈で居心地が悪くよくこんな事を考えます。「寂しそうな子が同じ教室の中にいるのに、どうしてみんなそんなに楽しそうにできるんだろう?」「話しかけてあげようとは思わないのかな」子供の頃のわたしはとても意気地なしでした。そして他力本願です。

 

これは子供の頃の話。今なら誰にも相手にされなかった理由がちゃんと分かりますよ。
仲良くない子と話したい人なんていません。話していて楽しくない子と話したい人なんていません。人と話すこと、一緒にいることは慈善活動ではないからです。

 

子供の頃のわたしはそんな簡単なことも分からなかったので、自分にできない「人と仲良くする」という事を簡単にやってのけているように見える周りの子達を強者とみなし、彼らに対して「恵まれた強い立場にいるのに、コミュニケーション弱者のわたしをどうして助けないの?」というすがる様な気持ちと、純粋な疑問を抱いていました。
友達がほしかったんです。

 

友達が出来にくいだけじゃなく、わたしはとにかく色んな事が出来ない子でした。
バイトの物覚えがとにかく悪い。先輩の足を引っ張って怒鳴られる、良かれと思ってやった事で罵倒される、役立たずの烙印を押される。何をやっても不器用で作業効率が悪く、常日頃から劣等感を抱える。
「この子は不器用な子だとみなしたのなら、フォローしてくれれば良いのに。フォローしてほしい」とよく心の中で訴えていました。
 
 

 

 
わたしは、「1人ぼっちを作らないように動いてくれて、空気の読めないわたしをフォローしてくれる」存在がほしかったんだなぁ。

 

 
 
でも出会えなかったので、自分は他者にそういう思いはさせまいと思い。今の人格構成が成されました。
アウェーになりそうな人にはなるべく声を掛けて、居心地の悪さをなくします。初心者やまだ不慣れな人には大丈夫だよ、と間接的に伝えたくてフォローを入れます。なるべく他人の不安の先回り、先回りをします。
誰かに自分と同じ気持ちを味わってほしくないからです。

 

 
……そのはずなのに、こうやって自分の心と向き合っていると少し怖くなります。
「わたしと同じ気持ちを誰にも味わってほしくない」
と、わたしは本当にそう思っているのでしょうか?

 

本当は、昔の可哀想な自分を慰めるために、他人に昔の自分を重ねて疑似体験をしているだけなんじゃないでしょうか?

 

そう思う時があるのです。
そしてもっと気持ちが揺れると、

 

「結局単純に人から嫌われたくないだけでしょ」
 
と声が聞こえます。
アウェーにするよりかは話しかけた方が好かれる。否定するよりかは肯定してフォローした方が好かれる。

 

しなかったら、嫌われる可能性がある。

 

昔のさみしい自分に戻る可能性がある。

 

 

わたしは、よく変なことをします。なんでも良いから誰かに爪痕を残してやろうと画策します。
好かれなくても良いから誰かの印象に残ろうとします。好かれなくてもいいと思います。でも、嫌われるのはとても怖いです。
 
 
これはわたしの心の弱さです。
わたしはインプロを通して自分の心の弱さと向き合っています。
 
何こいつ?と思われるのが怖くてお客様に積極的に話しかけられない自分と、
デリカシーねぇなと思われるのが怖くて共演者を否定できない自分と、
この場を楽しんでいない人がいるのが怖い、助けなくてはいけないという強迫観念に襲われる自分と、
 
全ては繋がります。
 
弱い心と向き合ってしまうとやっぱり恐いです。尾を引くように泣いてしまいます。
 
 
 
でもシアタースポーツの場は自分の過去を清算する場所ではないのです。これは一種のカタルシスではないかなと思います。
 
わたしは、わたし自身でこの人格を否定しません。わたしの人生の一部なのでわたしはわたしのこの側面を愛してあげたいと思います。
悲劇は浪漫です。物語の魅力的な登場人物の中には悲劇的な過去を持っているキャラクターがたくさんいます。観客はその過去に共感して、より一層そのキャラクターが愛しくなるのです。
 
だからわたしがわたしの過去に対してしてあげられる事は、人により一層魅力的な過去であると認識してもらえるように今を魅力的に生きることです。
誰かに昔の自分を重ねたり、昔に似た事象を怖がって回避するのはお門違い。子供の頃の自分を否定する事にも繋がってしまいます。
 
 
わたしは普通の社会では生きていけません。これまでの人生がそう教えてくれました。
なので最高のパフォーマーになって舞台という輝かしい舞台の上で生きてそこに骨を埋められたらなぁと思います。
…発達障害を抱える寂しい過去を持った最高のエンターテイナー。ドラマチックな人生を持った、かなり魅力的な存在なんじゃないでしょうか!
社会の荒波に打ち上げられたなっちゃん
 
 
このブログは「なっちゃんは人に嫌われるのが怖い」という内容で、その終着点は「人に嫌われる覚悟を持つ」だと決めていたはずなのに、変なとこでポジティブが発揮されて横道にそれたなっちゃんです。こういち曰く”情緒不安定”がなせる技!!