おはようございます!
いつも私の長くて
抽象的な文章。

辛抱強く読んで
くださっている
いただく皆さん

本当に心から感謝します!

今日も朝から
書いて行きますよ(*゚▽゚*)
今日は偉そうぶって哲学
そしてコーチングの理論
を上から振りかざして
行きますよ!(*゚▽゚*)

しかもこれはほとんど
根拠がなく私の解釈が
大いに入り混じった
話であるから(−_−;)
話10分の1位で
聞いてくださいねm(_ _)m

では今日の私の想像と
妄想と反省の世界
をスタートします(*゚▽゚*)

非日常的な日常

毎日仕事をして「残りの」
3分の1は眠っている。

そのルーチンの流れの中で
非日常をいかに持ち込む
ことができるか?

誰にも気づかれずに
毒を盛り込むように
こっそりと(*゚▽゚*)

それを自分の楽しみ
とできること。

呼吸をするように

食物を栄養として
取り込むように

毎日の生活の中での
当たり前にできる
ように工夫すること。

何回かの稽古の時に
だけで変化することが
できない!それって
当たり前でその頻度は
その必要性に比例する。

私たちの無意識は
私たちを離れた
ところから動かしている
大いなるものの存在は
「頻度で」判断する。

細く小さなことであれば
あるほど良い。これは
コーチングの理論の中の
応用ですね(*゚▽゚*)
「巨人さんみたいな存在」
私たちはこびとであり
巨人は無意識である。

私たちが自分で意識と
思って、行っている
行えている、動かせている
部分と言うのは
「本当に驚くほど」
悲しくなるほど小さいんです。

追われるように毎日を
物理的に成果を上げて
いこうとがむしゃらに
頑張ることに限界がある事は

今の日本の閉塞感が
よく示しているように
詰め込みには意味はなく
その成果は特に現代日本
では達成している。

それ以上豊かにしようと
個人がいくら工夫を
凝らしても、もはや個人で
達成できる豊かさと
言うのはそこにはほぼ存在しない。

今の時代のテーマは
個人の努力必死さを
求めていない。それより
他者とつながる

緩やかな連帯感を
必要としている。

私たちが個の力を
高める事はもちろんであるが
それよりももっと重要で
あるのは他者を理解
しようとすること

その理解の中から
そこに自分がコンタクト
できる部分を見つけて
一緒に「プレイしよう」
とすること。

インプロに続けていきます。
今日も長い前フリでしたね!

私は公園で自分の娘を見てて
「とても喜ばしい出来事」
を発見しました(*゚▽゚*)

子供がお父さんと2人で
遊んでいるのを見て
それをずーっと見ている
のです。ただニコニコして
どこまでもどこまでも
追いかけていくのです。

その子は娘のお友達
だったのですが
娘はそこに間に入って
遊ぼうとはとしない。

ただそのお友達が楽しそうに
お父さんと遊んでいるのを
ただニコニコ見て
ある距離感を保ったまま
うれしそうにそれを見ています。

私は最初それを
とても不思議に思いました。
なぜそんなに気になるなら
「一緒に遊ぼう!」と言って
入っていかないのだろう?と。

そーゆー時間がおそらく
30分ぐらい続いた後
私も疲れてきたので
もう帰ろうよ。と言って
娘を促しますが

娘はもうちょっと、
もうちょっと待って
もう少し…

と言いながら
相変わらず嬉しそう
にその親子を見ています。

そのとき!相手の子が
こちらを見て満面の笑みを
浮かべました。そして
バイバイ!(*゚▽゚*)と言って
お互いに走りよって
ハグをしたのです!

まるでそれが当たり前のように!

そしてさあ帰ろうか!と
娘は満足顔で言いました。
そして娘は私と共に帰りました。

私はこれを見て
衝撃を受けました。
この関係は何なのか?
つまり、そんなに仲良し
であるなら最初から
一緒に遊んだら
よかったじゃないか?
と最初思ったんですが

待てよ!それはこの子
たちにとっては
これがとても心地よい
今の距離感時間の過ごし方
だったのではないか?

ただ一緒にプレイするだけが
正解では無いのではないか?

大人の考え。少しでも
今の時間を有効に使おうと
言う私の短絡的な考えを
大いに恥じました(-_-;)

その時の行動は
お互いにとって
最も心地よい時間を
過ごせる方法は
「いくらでもある」

娘にとってその手段の1つが
程良い距離感のところから
自分も1人で遊びながら
ただニコニコして見守る
と言うことだったのですね。

わたしは1つの場面に対して
ただそこに一緒に参加して
プレイすると言う1つの
方法しか考えつかなかった。

「これはインプロでも一緒だ」

空気を敏感に感じ取る力を
もう私の娘は身に付けている。

今の凝り固まった
効率的で最短距離
正解を求めようとする
私の性格はちょっとや
そっとじゃ変わらないな
と言うことを痛感しました(-_-;)

答えをすぐに出さない事
遠回りの答えを探してみること。

私はわかりやすい
結果を求める方に
重点を置きすぎている。

それが観客の笑いで
あり驚かせることである。

何も起こらない沈黙や
余韻に耐えられない!

そこには自分で起こした
アクションに対する
明確な回答が得られない
私の行動が正しかったのか
どうかと言う答えが
「すぐに欲しい」と言う
欲、承認欲求。

すなわち表面的な結果しか
求めていなければ
それしか返ってこないのは
当たり前で、そこに観客との
深いつながりは存在しない。

見えないところの
つながりをいかに
信じられるか?
という部分が
私には今全くない。

やはり稽古だけでは
無理がある。日常を
変えていかないと!
それも巨人さんに
気づかれれないように
コッソリ毒を盛り込むように。