良き先生に巡り会えたことに👨‍🏫👩‍🏫

改めて感謝しています。
ゆういちさん、さよさんの
ナイスコンビネーションで
繰り広げられる
インプロの、シアタースポーツ
のためのワークは

ここが最大の特徴なのですが
ワークが始まる前は
何が学びになるか
全く分かっていない。
大まかには決めて
いるだろうけれど

その場にどんなテーマが
出てくるかは全くわからない。
その人のほんの一瞬見せた
動き、表情、言葉から

その表現は演技者としては
どう変えればもっと伝わるのか?
をとてもユーモラスに
率直にシンプルに伝えてくれます。

余計な価値観が
入っていないのがとても良くて
すべての先入観や
価値観を取っ払った上で

ただその人にとって
「その場面の」
最善の動きや表現は
どんなものがいいのか?
と言う目線で伝えてくれます。

短期間でもこれは
人が変化するには
大きなチャンスとなりますし
演劇を長い間続ければ
続けるほど

本当の自分らしさとは何か⁉
というテーマに
行き着いていくのだと
思います(私だけかな( ̄▽ ̄;)

特に私が気にいっているのは
ギリギリまで何が起こるか
わからないどんなテーマが
与えられるか分からないこと。

ゆういちさん、さよさんは
演劇の事をとても深く愛し
理解しているアーティストですので
たまたまこの分野に
興味を持った時に
お二人に導いてもらえた事は
本当に幸運なことだった
と思います。

「2人に巡り会えたことに感謝して」

私は演劇のことを
「この年齢から」
理解しようとしています。
それは賢い行いなのか
どうかはよくわかりません( ̄▽ ̄;)
社会人の趣味と言えるような
演劇と言う分野に
私自身そんなに熱心になるとは
思っていませんでした。

しかし、演劇を理解すると
人間を理解すると言う事と
同じ意味ではないか?

そして人生は何が起こるか
分からないと言う意味を
本当の意味で理解するには
信念を持って
その時にいつも備えな
ければいけない。

その準備すると言うのは
本当の意味においては
その時どんな場面においても
自分が自分らしく決断
対応できると言う
自分への他者への
信頼そのものなのだが

日常の生活において
「その勇気」が試されると言う
場面はなかなかない( ̄▽ ̄;)

勇気は貯蓄できるものではなく
その人自身の存在
としてその時初めて分かるものだ。

そんな場面に遭遇することを
避け続ければ
妄想の世界に生き
続けることはできる。

そんな場面においては
その場面さえくれれば
とても潔く決断し振る
舞っている自分自身を想像することで。

しかしその「場面は」
もしかしたら一生
来ないかもしれない

自分の価値観や存在を
晒すと言うのは
私にとってとても
リスキーなのです。

すなわちそれは見たくない
自分をも見てしまう
行為であるので

私は今そんな場面を
「あらゆるところで」
求めています。

振る舞うたびに
妄想と現実の間に
ギャップが生じ
その落差に愕然とする

しかし続けている限り
そのギャップが
いずれ埋まっていくのではないか?

それが自分の体に
自分と言う人間を
馴染ませていくための
本当の作業なのではないか?

喜びも痛みも怒りも憎しみも
感情そのものを体現し
それを超えて表現することで
自分と言う枠を超えて
表現できるのではないか。

相変わらず( ̄▽ ̄;)
とりとめもない思考ですm(_ _)m